紙 智子 |
2012年2月27日 道内各地で「TPPのシンポ」、どこでも渦巻く阻止の声が
日本が、TPPに参加したらどうなるのか「一番わかりやすいのは、韓米FTA」と言われているとき、二月十八日の北見市のTPPシンポでは酪農学園大学准教授の柳京熙(ユウ・キョンヒ)先生が韓米FTAでいま韓国では何が起きているのかを講演、二十五日の岩見沢市でのシンポジウムでは韓国全国農民会総聯盟のイ・チャンハンさんが、韓米FTAの批准をめぐって、韓国内で国民的反対運動を取り組んできた経験を報告しました。
韓米FTAは「GDPで六%成長し三十五万人の雇用が創出される」「失業問題を打開できる。経済成長できる」と宣伝してきたけれど実際のGDPの伸びは〇.六六%でしかなく、雇用創出どころか失業が増える結果になり、ウソの宣伝がなされてきたことが明らかになった。
しかも、韓国国民が知って最も怒っているのは一度自由化したら、もとに戻れない「ラチェット規程」、投資した米国企業が、韓国政府を裁判にかけられる「ISD条項」など屈辱的な「毒素条項」が数々あることでした。学生も、農業者も労働者もローソクデモで一〇万人もの人がソウル市内を埋め尽くした動画を見ると、その迫力に圧倒されます。
滋賀県ではTPP県民会議が結成され恒常的な県民大運動として広く呼び掛けが始まっています。もっとも影響を受ける北海道で「TPPを考える道民連絡会議」が発足しました。圧倒的多数の反対世論に押し上げて、TPPを葬りましょう!
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2012年2月6日 「きちっと・・・」を連発する野田総理のきちっとしない対応
一八〇通常国会の論戦がはじまり、各党の代表質問の後、「TPP・外交問題での集中審議」が行われ、一月三十一日、参議院で今年最初の質問に立ちました。
野田総理は、TPP参加に向けた各国との事前協議で「国民への説明と情報提供をきちっとやり、国民的な論戦を十分行って結論を得る」と明言していましたが、その前提が覆される事態が明らかになりました。ニュージーランド政府の公式発表で交渉内容は、限られた対象にしか明らかにせず、協定が発効した後も四年間秘匿されることが合意されていたことがわかったからです。
このことを指摘すると、野田総理は、それを認め、「外交交渉では、相手国が非公開で提示したものは、尊重するのが通常当然の対応だ」と言い、その上で「出せる情報はきちっと出す」といいました。出せないものは出さないということです。何度も「きちっと」という言葉を使うときは、逆にきちっとできないことがあるのだと思いました。それにしても、国民をごまかす態度は許せません。徹底して情報を出させ、国民の中での大論議にしていかなければなりません。
二月五日、福島革新懇の主催でTPPのシンポジウムに参加しました。国も電力会社もマスコミも総動員で行った「安全神話」によって重大な事故にいたった原発事故の教訓からも、TPPで二の舞にしてはいけないという、現地の声は、強く胸に響きました。
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2012年1月16日 若者たちと希望ある未来を切り開く決意を新たに
今年、新成人は北海道では五万二千四十五人といいます。札幌の各区の成人式会場前で、はたやま和也さんと手分けをしながら数箇所で宣伝をしました。
会場前にはぞくぞく新成人がやってまいります。卒業後「ひさしぶり」と友達と会えたことを喜びで楽しげに話しながら参加する人、色とりどりの晴れ着の振袖に身を包み歩いてくる人、その少し後ろから、わが子の姿を誇らしげに見つめて歩く母親、スーツ姿や、羽織はかまの青年など、少し照れながら、やってきます。
元気よく「おめでとうございます!」と声をかけると「ありがとうございます!」とかえってきます。原発ゼロへの署名に応じてくれるスーツ姿の女性の新成人に「学生さんですか?」と聞くと「いいえ・・・看護師です」としっかり目を見て答えてくれました。
いつもの成人式の風景だけれど、少し違うと感じました。昨年の大震災・原発事故の経験は、いろいろな形で影響を与えています。
成人式を迎えられたこと事態が、どれだけ幸せなことだったのか。岩手、宮城、福島などの被災地で成人式を迎えた新成人の中には、一緒に迎えるはずだった友の写真を持って参加し「あなたを忘れずに生きる」と誓った人もいました。
「被災地の力になりたい」、「正社員として働ける世の中にしたい」など、願いをもつ二十歳の若者たちと、希望ある未来を切り開きたいとの思いを強くしました。
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2012年1月1日 共同のたたかいを広げよう
昨年十二月、再び三陸海岸を歩き、復興へ頑張る人々に出会い、決意を新たにしました。
今やるべきは、懸命に生きる被災者を支えるとともに、すべての命が大切にされる日本と北海道への道を切り開くことです。
「原発ゼロへ」「北海道と日本の農業と経済を破壊するTPP参加を許すな!」「社会保障充実、雇用拡大、道民生活応援で、経済の立て直しを」の共同のたたかいを広げましょう!
はたやま和也さんとともに頑張ります。
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2011年12月12日 TPP,重要なたたかいの段階に
国会の会期末を前に衆議院と参議院でTPPについての決議をあげようとなり、自民党の筆頭理事が私のところに来て、「共産党も賛成してほしい。内容は衆議院での内容と同じものだ」と言ってきました。ところが、その文書を見ると、「TPPに参加すべきではない」とか「中止すべき」という言葉が一切ないばかりか「協議を進めるに当たっては、国益を損ないかねない場合は、厳しい判断を含めて対応」「協議を進めつつ構造改革を加速する」など、協議を進める事を前提にしているものでした。
歯止めになるどころか、推進を容認して、それに備えた条件交渉にならざるを得ません。「これでは、とても賛成できません」というと、「その思いは、私も紙さんとまったく同じです。でも自民党内にも、民主党内にも、賛成派と反対派がいるなかで、ぎりぎりの妥協点がこの表現なのです」というのです。そんな曖昧な表現では、国民が納得するはずもありません。形だけで「慎重に」という趣旨の決議をあげて済ませられる段階でもありません。
私は、「TPP参加に反対の決議こそすべきである」と発言し、決議の採択に反対の意思を示しました。自民党も民主党も公明党も議員個人では「反対」といっても、党としてはっきり「参加反対」を表明できないのです。これからが、ますます重要な段階に入るわけで、反対の理由も、今後の展望もはっきり示している日本共産党の役割と国民のたたかいがいっそう重要です。
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2011年11月21日 積丹沖活断層調査を国の責任で
北海道の政府交渉で、泊原発の一号機、二号機の再稼働とプルサーマル計画を行わないこと、青森に建設中の大間原発の中止、幌延深地層研究計画に核廃棄物を持ち込まないことを求めて、経済産業省への申し入れに同行した時のことです。
対応した経産省の牧野聖修副大臣は、浜岡原発のある静岡県出身の政治家です。「脱原発の方向では、皆さんと同じだ」といいつつも、泊原発の積丹沖にあるとされている活断層について、「国の責任で調査をやるべき」と指摘すると、突然後ろに座っていた保安院の政府員が立ち上がり、「昨年夏に北電のボーリング調査に保安院も参加したが、海底の隆起がみとめられなかった」として、調査の必要性を否定しました。副大臣と話しているのに、いかにも官僚が口をはさんできた形で異常さを感じさせるものでした。この間、運動団体の皆さんが、要求しても、資料を出して説明することもやらずにきたのです。
また、渡辺満久教授(東洋大学変動地形学)の活断層存在の指摘を否定するなら、その根拠をしめすべきですが、それも行わず、結論だけをおしつけようとする態度は、絶対許せません。各地でやらせを指導してきた原子力安全保安院への不信感が国民の中に強まっていることについて、何らの反省も感じられません。 徹底して資料を出させて、追及していかなければなりません。
2011年10月24日 国民のたたかいと連帯して
第百七十九回国会が開会しました。十二月九日までの五十一日間の会期で行われます。今度の国会は、震災からの復興、その財源をめぐる問題も最重要課題ですが、その他、十一月のAPECでの首脳会談に向けた、TPP問題や普天間基地問題、また、にわかに憲法審査会を始動させようという動き、選挙制度問題をめぐって「一票の格差是正」を入り口に比例定数の削減の策動など、一気に緊迫を増しています。
国会開会日は、日比谷野外音楽堂で全日本民医連、日本医労連などの実行委員会が「命を守る国民集会」を開催。国会内では、「憲法審査会を始動させるな!憲法を震災復興に生かせ」緊急集会が開かれました。翌日二十一日は国民大運動実行委員会などの集会とデモが国会周辺を囲みました。TPP交渉参加阻止にむけた各地の集会も、次々と火の手が上がるように開かれています。
私も日本共産党の三次提言やTPPアピールを持って、JA全中、全森連、全国農業会議、農民連、食健連へと回り、懇談しました。どこでも民主党野田政権への危機感をあらわにしつつ、強い怒りと、TPPをこのままなし崩し的に通させてたまるかという意志が現れていました。さっそく週明けから農林水産委員会など委員会審議から始まります。国民のたたかいと連帯して、エンジン全開!
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2011年9月26日 まつり会場はどこも「被災者救援と原発ゼロ」
台風十五号の猛烈な風雨がとおり過ぎた後の、日本列島は、抜けるように青く美しい空が広がりました。茨城県つくば市での「森のちんじゅのどんじゃらまつり(地元の赤旗まつり)」も、翌日の室蘭市での「青空まつり」も、青空と白い雲のコントラストに秋の風情を満喫しました。「晴れてよかったですね」と言うと「紙さんがくるときは、いつも晴れだ、晴れ女だね」と言われ、気を良くしていると、なつかしい顔が次々現れました。
つくば市のどんじゃらまつりは、森の中でのまつり、室蘭の青空まつりはフェリー埠頭を会場にしたまつりですが、テーマは「東日本大震災救援」と「原発ゼロへ」で共通しています。収穫の秋、放射能の心配なくおいしい物を食べられるようにしたいという思いも切実です。
室蘭では、恒例となった、ニンジンと大根の無料提供があり、この野菜高騰の中で、参加者の期待も高まっていました。この後、室蘭から被災地の気仙沼へボランティアを派遣する事になっていますが、こうした野菜や米を持っていくそうです。室蘭の日本製鋼所(日鋼)で、原発の炉も作っており、日本で生産している炉の相当部分を担っているといいますが、今後どうしていくのかということも注目されます。
野田新内閣のもとで臨時国会は、会期末に向けて衆議院、参議院参での予算委員会が行われていきますが、この論戦と結んで「原発ゼロへ」国民の大運動をさらに広げましょう!
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2011年8月29日 道民を欺いてきた北電
震災で先送りされていた東北の地方選挙が、行われています。福島県須賀川市の市議選の応援に入ると、そこには、南相馬市などから避難してきた方々がいました。「妻と一緒にこちらに来たが、帰る見通しがたっていない。自分の家は高台だったので、津波の被害は逃れたが、放射能汚染のため、自宅へは一回帰ったきり、電気も水道も止まったままだった」と言います。「原発事故さえなければ、米作りをできたのに・・・」と、お話しを聞いて、私も悔しい気持ちでいっぱいになりました。
須賀川市も放射線量が高い地域もあり、外で遊ぶことができない子どもたちの成長にとってどんな影響を与えるのかも心配です。地元の党議員団は、いつでも線量計をもって駆けつけ、データーを住民に知らせて、除染作業の提案など、市議会で提案、打開へ奔走しています。
泊原発でも、もし事故が起きれば、同じように、ふるさとを失い、静かな日常の生活が破壊されかねないということです。八月二十五日、国会で泊三号機の営業運転開始を許可した政府に対して、抗議し運転中止を求める質問をしました。その直後に北海道電力の「やらせ」の事実を赤旗がスクープし、翌日には北電も、事実を認めざるを得ませんでした。平気で道民を欺いてきた北電の責任と同時に、共同して進めてきた北海道と国の責任を問い直さなければなりません。
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2011年8月1日 「泊原発」一号機の早期再稼動反対
七月二十八日付け北海道新聞は、道内国会議員二十九人の脱原発へのアンケート結果を発表しました。「脱原発」社会を目指すことに賛成しているのは、全体の六割。ところが、「泊原発」一号機の早期再稼働については、反対を表明しているのは、私と、他に二名だけ。「徹底した検討が必要、国民の議論を深めて」と答えている議員もいるが、政府役員、民主党役員だからと無回答が多いのに驚きました。
泊原発と北海道電力への要請でも、津波対策について述べるが、大地震への対策については、三月十一日以降の活断層の調査を含め、どの程度の調査や分析が行われたかも不明で、「対策をとったから大丈夫」と運転開始することは、新たな安全神話を定着させることになりかねません。危険なMOX燃料を燃やすプルサーマルについては、反対の声も多い中で、実は「試運転」と称して稼働させており、これを営業運転に移行させることは、さらに危険を増幅します。
北海道電力の社長は、「三号機も止めなければならないなら、節電をお願いすることになる」と脅しともとれる発言です。九州電力の「やらせメール」のようなことは「いっさいない」とも言っていますが、二〇〇八年、三号機をめぐるシンポジウムなど、当時のことを現場で知っている、岩内の太田町議に聞くと、推進派ばかりのシンポジストを集め、安全論を展開したことは明らかです。「原発ゼロ」への国民の議論と運動を徹底して広げましょう。
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2011年7月4日 かならず「原発ゼロ」へ
七月二日、明治公園で行われた「原発ゼロ」をめざす集会には、全国から二万人をこえる人が集い、熱気であふれました。北海道から参加したみなさんとも交流。福島県からも、三〇〇人をこえて、避難先から集会に来たという人もいました。
福島のテントを回ると、産直の果物やジュース、物品の中に、「までいの力」という飯館村のまちづくりが紹介されている本がありました。飯館村は、合併せずに、独自のまちづくりにとりくんでいたのです。「までい」とは「真手」という古語が語源で「両手で」の意味。手間ひま惜しまず丁寧に心をこめてという意味だそうです。
そういえば、私の母も「あの人はまていな人だね」と話していたことを思い出しました。飯館村の「までいライフ」のメッセージは「暮らし方を少し変えてみよう、戦後一貫して大量生産、大量消費、大量廃棄によって作られてきた今日の日本経済の中に、少しスピードをゆるめてみよう。走っている人は、歩く。歩いている人は立ち止まる。立ち止まった人はしゃがんでみる。そうすると足元の花の美しさが見えてくる・・・」。もう一つは、人と人のつながりを深めてみようということ。
村民みんなで取り組んでいる、まさにその途上で、今回の震災、原発事故にあい、村ぐるみでふるさとを離れなければならなかった。村民の悔しさがひしひしと伝わります。かならず帰れるように、そして、二度とおきないように、かならず「「原発ゼロ」へ。
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2011年6月6日 いま、国会がやるべきこと
六月二日、菅内閣への不信任決議案が、自公など野党三党から出され、異常な雰囲気の中、「東日本大震災というこの非常時に、国会は一体何をやっているのか!」という厳しい国民からの声が相次ぎました。結局、不信任決議案は否決され、菅総理は当分の間、続投となり、翌日三日の参議院予算委員会から再開されました。
自民党、公明党を始め、私の前に質問した野党は、全員が、菅総理に対し、「やめろ、やめろ」の大合唱。議場で聞いていて、被災者の皆さんに対して申し訳ない気がしてしまいました。テレビを見ている国民もうんざりしたに違いありません。私は「いま、国会がやるべきことは、一日も早い被災者救援と原発事故の解決をはかることです」と述べ、三陸海岸での調査で訴えられた切実な要望に基づいて「二次補正で一日も早く」という声を紹介しながら、対策を迫りました。
六日の決算委員会で、アイヌ政策の推進について質問します。二〇〇八年に衆参本会議でアイヌ先住民族決議を採択しましたが、その後有識者懇談会での議論が重ねられ、政策推進会議も設置されていたものの、本格的な政策実施はこれからとなっています。昨年の政府の「北海道外のアイヌの生活実態調査」については近く報告が出されますが、政策を推進するうえで、内閣官房長官の認識を質しておきたいと思います。
震災、原発事故への対策とともに、懸案となっている各分野の問題も進めていかなければなりません。
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2011年5月9日 笑顔がもどってくる日のために
五月一日、東日本大震災の補正予算をめぐり、参議院予算委員会で質問に立ちました。福島の原発事故によって、計画的避難区域に指定され、移転を迫られている飯館村など、五つの自治体の住民は、この先への大きな不安を抱えています。牛や豚を残していけない、かといって一緒に移動できるところはあるのか、いつ家に戻れるようになるのか、仕事はどうなるのか、まさに生存権や財産権、環境権が著しく損なわれる事態になっています。
政府が責任を持って今後の見通しを示すべきであること、また原発事故によって、放射能汚染のために出荷できなくなった生産物への損害賠償、さらに、汚染されていないにもかかわらず、売れなくなった生産物への風評被害を含めた損害賠償について、その基本姿勢を正しました。事故がなければ、得られたはずの収入と生活に対して、全面的に補償することは当たり前です。東京電力の社長と菅総理に正面から問いました。
この質問を、外でりんごの交配の作業しながらラジオで聞いていたという人から、福島の党事務所に「みんなで聞いていた。こういう質問をしてほしかった。風評被害の問題は深刻な問題だ、りんごへの影響も心配だ。自分はかつて自民党員だったが、もうあなたの党しかない。みんなそういっている。これから応援する」と電話が入ったことを聞き、とても励まされました。本当の「安心」と笑顔が戻ってくる日のために、みんなと力を合わせてがんばります。
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2011年4月4日 ”必要な物資を早く被災者のもとへ”の思い込め
三月十一日の大震災の翌日から、被災地に入り、二十二日、再開された予算委員会で質問に立ちました。ガソリン、水、灯油、食料など、一刻を争って必要な物資が、被災者のところまで届く対策が、すぐ打たれる質問になるように心がけました。
行く先々で、党議員や支部の皆さんが自ら被災しながらも、みんなの安否確認、救済活動に取り組んでいる姿に熱いものがこみ上げました。福島原発から30キロ圏内に退避命令が出され、ガソリンを積んだタンクローリがそこでストップ。その時、必死でタンクローリーの運転手を探して、中まで運ぶことができたのは、地元党議員さんの奮闘によるものでした。
四月一日、道府県議、政令市の市議会議員選挙が告示されました。今回の選挙は、震災の被災者支援・復興への選挙です。訴えの最中に募金箱にお金を入れてくれる人、「私の家でも、東北の親戚を、避難させています」という人、今も被災地に両親、親戚や兄妹がいるなど、東北と北海道のつながりの深さを痛感します。
道内においても原発の危険を心配する声、漁業被害や、「やっと家のリフォームの仕事がきたのに、この震災で建材が入らず作業が止まったまま。このままでは、仕事も生活も続かない」とSOSが入ってきました。この選挙の直後の議会は、まさにこうした問題を打開するための議会になります。日本共産党の議員を一人でも多く議会に送りだしましょう。私もがんばります。
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2011年3月7日 熱く広がってきたTPP参加阻止
三月に入ってからも、寒い日が続いていますが、TPP参加阻止への運動は、熱く広がっています。二月二十日の釧路町で開かれた「TPPでどうなる私たちの食卓とくらし」のシンポジウムは、実行委員会として取り組まれましたが、近隣の市町村からも三百八十人と予測を超える参加で、資料が足りなくなりました。山形県米沢市でのシンポジウムも満席になり、資料が足りなくなりました。
三月三日は東京のど真ん中、千代田区の「TPP問題とこの国のありかた」をめぐり、語るつどいに参加しましたが、官庁に働く労働者も多く参加しており、「われわれ自身が、春闘でもTPP問題を取り上げて、今こそ労働者と農民が連帯してがんばるときだ」と発言があり、頼もしく思いました。
一言で、「TPPとはトヨタもパナソニックもパラダイスということだ」と話しているという発言がありましたが、よく考えてみると、トヨタもパナソニックもTPPで儲かるというのも幻想ではないか、そこに働く労働者はますます労働条件悪化につながる可能性もある問題だと、認識が深まりました。
世論調査でも一月時点では「TPPに参加すべき」のほうが多かったけれど、今は逆転しています。昨年、道議会で「TPP交渉への参加を行わないよう強く要望する」と意見書が採択されたのは、二人の日本共産党議員の奮闘があったこともしっかり語りましょう!
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2011年2月7日 届け続けたい”百姓の汗と笑顔”
「百姓の汗と笑顔をとどけます」という理念で、長く取り組んできた愛媛県西予市(旧野村町)の産直組合「百姓百品」を訪ねて、話を聞きました。
当初は農家三〇〇人が出資して始まり、今は五〇〇戸をこえる小規模農家が参加するまでに発展しているといいます。中山間地で、地域農業再生に取り組んでいます。ここの特徴は、高い生産性と、技術をもつ若い専業農家と、集落によっては六五歳以上の高齢者が半分以上を占めていますが、じいちゃん、ばあちゃんの出番をつくり、この両者を農業再生に結び付けているということです。畜産と野菜の地域複合で、土壌づくり、町独自の価格保障制度、流通支援、後継者研修、高齢者農業の援助など地域農業の再生の取り組みに深く感銘を受けました。
七〇頭あまりの牛を搾乳する酪農家を訪ねてみると、なんと北海道と、牛の交流があるといいます。子牛を北海道の育成農家に送り出し、成牛にして、お産寸前で戻し、出産したら搾乳をするそうです。北海道と四国の愛媛県、こんなに遠く離れていても、牛を通してつながりを持っていることに驚かされました。土地柄も環境も大きく違うけれど、みんなの知恵をあつめて、いかにして地域を守るかと努力する姿には、学ぶべきことが多いと感じました。
こうした、地域間のきずなさえも壊してしまいかねないTPP参加を阻止するためにも今が頑張りどきです。
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2011年1月10日 地方選へカウントダウン
二〇一一年、新しい一年が始まりました。今年も、元旦の神社まえでの街頭宣伝からスタートし、白石区、清田区、東区、小樽市、石狩市と各地での新年交礼会や、党と後援会の集いに参加し、交流する中で、いっせい地方選へカウントダウンが始まっていると実感しました。
社会保障の財源を口実に消費税増税を正当化し、年明け早々、TPPへの参加と合わせて、財界に約束するなど、菅首相の行動は、国民に政権交代を訴えた当時とは、ことごとく逆方向です。ところが、この国民への裏切りを批判するのではなく、菅政権に「有言実行を!」と、迫る、ほぼ同じ社説を載せた五大マスコミなどの異常さには驚くばかりです。
「こうなったら、我々のたたかいによって、必ず打ち破ろう!」と逆に闘志がわいてきます。
「不当解雇を許さない」と立ち上がる日本航空(JAL)の労働者、患者すべての救済を求めるB型肝炎原告団の運動 ―― 年末も正月も返上で、働くルールの確立、社会保障拡充の声は広がりました。
国民の切実な願い実現はまったなし。消費税増税ではなく、取るべきところから応分の負担を求め、TPPへの参加を阻止して、食料主権を保障する国づくりへむけて、熱いたたかいを広げ、いっせい地方選挙で必ず勝利しましょう。
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2011年1月1日 政治のゆがみおおもとから正す
今年はいっせい地方選挙の年です。民主党菅内閣への失望と怒りが渦巻く中で、国民の願い実現のために、政治のゆがみをおおもとから正す日本共産党の前進が必要です。北海道の農林漁業と地域経済を守り、暮らしを壊すTPPを阻止し、雇用と社会保障を充実させ、誰もが人間らしく平和に生きられる日本にするために、力を合わせましょう!
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2010年11月29日 命につながる農林漁業
かつては、炭鉱の坑木用として植えられていたカラ松が、いまや、公共施設などの建築材として広く取り入れられ、利用されるようになったのには、契機となった二つのことがありました。
一つは乾燥の技術が進歩したこと。これで、たわみやすいカラ松の難点を解決。もう一つは、集成材として使う技術の進歩です。張り合わせて使うことで、強度が増し、多様な用途に対応できるようになったということ。
もっと地域材を活用するにはどうしたらいいのか。十一月二十三日、美幌町で行われた「オホーツクの森林・林業の再生とまちづくりを考える」シンポジウムには、用意した資料が足りなくなるくらい多くの人が参加し、熱心な討論がされました。取り組みに向けた地元の努力の反映もあります。二日前の秋田市での「TPPって何?」というテーマのシンポジウム、その前日の山梨県での「林業・木材産業の再生を考える」シンポジウムでも、同様に、用意した資料が足りなくなる状態で、農林水産業と暮らしや地域経済、環境へのかかわりを深める議論が行われています。
「山を守り、水を守ることが海を守り環境を守ることにつながる、私にできることは何か、考えています」「今まであまり意識していなかったけれど、林業、農業、漁業と私たちの生活、まちづくりの話は『命』につながる話だと思いました」など、寄せられた感想に、将来を見据えた展望ある方向への国民の関心の高まりと深まりを感じました。
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2010年10月25日 ペッポボトル一本の水より安いおコメ
菅内閣のもとで、総理への初めてのテレビ入りの質問をしました。「米つくってメシ食えない」と、今全国の農村で起こっている農家の叫びを取り上げ、米価暴落問題を打開するために、余剰分四十万トンの米を政府として買い上げるように求めました。
十八分間という時間の中で、米価が下がることが、農家の経営を困難にするだけではなく、国民にとっても、国産で安全な米を食べられなくなることであり、国民につけが回ること、菅内閣の政策で決めた備蓄政策を、前倒ししてやればできることだと、実現を迫りました。ところが、菅総理に質問しているのに、もっぱら鹿野農水大臣が答弁に立ち、その後に「いま農水大臣が話されたように・・・」と言って、官僚の書いたペーパーを読み上げるだけ。
唯一自分の言葉で答えたのは、水より安いコメ、労働者の最低賃金に比較して米価がその半分にもならないことへの感想について、「非常に低いと感じた」と述べただけでした。現場では、深刻な叫びをあげているのに、なんと冷たい答弁か!と怒りがこみ上げてきました。財界の意向にそって、日本農業を崩壊への危機にさらしても、更なる自由貿易拡大を進めようというのでしょうか!
その後、日本農業を壊滅させる環太平洋戦略的経済連携協定(TPP協定)への参加を打ち出していることは到底許せません。国民的大闘争に盛り上げて、阻止するために力を合わせましょう!
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2010年10月4日 建築家の皆さんとの新しい出会い
北海道の地域工務店のネットワーク「アークス21」の皆さんから、「地域の製造業・工務店と住宅政策について」というテーマで、ざっくばらんな意見交換をしたいとの申し入れがあり、はじめてお会いし、懇談しました。ホームページで「北海道地域の活性化を現場で盛り上げる製造業の基本である住宅づくり、工務店経営を認識し、精鋭工務店がお互いにシビアな姿勢で絡み合い日々研鑽するネットワーク」と紹介しています。
大変刺激的で、いろいろと考えさせられる有意義な機会となりました。「住宅政策についての考えは?」と問われ、「快適な住環境を整えることは、人間の暮らしにとって欠かせないことだし、一戸建ての住まいは、誰にとっても憧れだけれど、今日、新築住宅の着工数は、超低戸数といわれている。その要因は、雇用情勢の悪化や所得の減少など、個人消費低迷の影響があること。国民のふところを暖めて、家を持てる力をつけることが求められており、政治の役割だと思う」と答えました。
現在自治体に広がっているリフォームを支援する取り組みを、もっと発展させられないか、また、木を切り出すところから、製材、加工、建設などの環境をどのように作るのか、その際、大手のハウスメーカーだけに回る仕組みでなく、地域の中小の工務店が意欲的に活躍できるにはどうしたらいいのかなど、「住宅政策」として研究する必要性を考えさせられました。
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2010年9月6日 社会正義があぶない
八月末、札幌弁護士会主催の「司法修習生の給費制維持を求める市民集会」が開かれました。
司法修習生の訴え、弁護士、学者、NHK記者によるパネルディスカッション、各界からの意見表明、各党の国会議員、市会議員も参加しました。
司法試験に合格し、裁判官、検察官、弁護士をめざす法律家の卵・司法修習生には、国が給与を支給する「給費制」をとってきました。
経済的に恵まれない人であっても優れた人材が法曹資格を取得できるように、国民各階層から多様な人材が法律家になることが、社会正義と国民の権利・利益を公正に実現するうえで必要との考え方に立っていたからです。
それが、この秋から「貸与制」に移行しようとしています。
法科大学院に通う修習生は、「社会の中で差別を受けている人の権利を守る弁護士になりたいと弁護士をこころざしたが、給費制がなくなれば、自分のような貧乏学生は、資格をとることさえ厳しい」と訴えました。
現実に修習生の期間に三百万円から一千万円という多額の費用がかかるとされています。
「お金持ちしか弁護士になれなくていいのか」、「弱い立場の者が信頼できる弁護士であってほしい」 ―― 参加者の指摘は、問題点を浮き彫りにしました。
法改正は二〇〇四年の国会で、わが党以外、すべての党の賛成で可決されていたのです。各地で「給費制」維持への運動が高まり、国会への働きかけが強められています。
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2010年8月2日 平和美術展に思う
毎年七月に開かれる北海道平和美術展が、今年も市民ギャラリーで開かれ、私も、「水芭蕉」と「サイロ」の水彩画二点を出品しました。忙しい毎日ですが、合間を縫って、なんとか途切れずに、出品することで、絵を描き続けるよう自らの課題としてきました。
平和美術展は、「戦争・核兵器反対」をかかげ、アンデパンダン形式(自由出品・無審査)で行われてきた美術展ですが、北海道を代表する彫刻家の本郷新さんや本田明二さん、画家の伊藤仁さん、富樫正雄さんなど、そうそうたる美術家が呼びかけ人となって、始められたということで、私のような素人が、出品するのもはばかれると思っていました。
ところが、何回目の時だったか、会場で絵をみているうちに、短大時代の日本画の先生の作品を発見し、驚きました。主催者の方に事情を聴くと、かつて、美術展の開催そのものが危ぶまれたときに、支えになればと寄付をされたことがあったと聞き、深く胸をうたれました。学生時代には、そんな事とは全く知らず接していたわけです。いまは故人となり、先生がその昔どんな思いで平和美術展にかかわってきたのか、聞いておくべきだったと悔やまれます。今年はアイヌ民族の民族衣装などが初めて展示されたことも、特徴的でした。
まもなく、八月六日、九日、十五日と広島・長崎の原爆記念日、終戦記念日を迎えます。平和への願いを、現実の政治に生かすため、この夏もファイトを燃やしてがんばります!
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2010年7月12日 菅政権を追い詰めた論戦
参議院選挙の結果、日本共産党は、市田忠義書記局長、大門みきしさん、田村智子さんの三人が当選を果たしましたが、現職の仁比そうへいさんの議席を失い、東京選挙区では小池晃さんの議席獲得を果たすことができず、痛恨の思いです。
日本共産党の勝利のためにご奮闘いただいたみなさんに、心から感謝するとともに、期待にこたえることができずに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今回の選挙は、「政治を変えたい」という国民のみなさんの昨年の総選挙につづく選択の機会でした。
民主党は、沖縄の普天間基地撤去をめぐる問題、政治とカネをめぐる問題など、国民との公約に反しただけでなく、消費税一〇%増税にむけた話し合いを呼びかけるなど、マニフェストにもなかったことまで言い出しました。
多くの有権者が最後まで模索するなかで、日本共産党は、増税やむなしの押し付けや、議論のごまかしを許さない論戦で選挙戦をリードして、消費税増税が大企業の減税の為であること、日本の法人税が高すぎるというウソを明るみにすることで、菅政権を追い詰めました。
こうした論戦は、今後の国会の戦いにいかすことができるものです。
党議席が後退した結果については、次回の前進のために教訓を生かせるようにしたいと決意しています。
これからも日本共産党へのご支持ご支援をよろしくお願いしたします。
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2010年6月28日 楽しい選挙戦で怒りの審判を
参議院選挙公示日は、大通公園で第一声が行われました。雨がぱらぱら降りはじめ、広場が傘で埋まりました。候補者が、「楽しい楽しい選挙が始まりました!」と一声をあげたとたん、傘の中のみんなの表情がぱっと笑顔になりました。
「世界の社会保障国スウェーデンでは、社会保障の財源は、大企業が負担する四割の社会保険料によってまかなわれているのです。日本とは大違いです」という一言で「そうなんだ!」という表情が見えました。
その後、私たちは丘珠空港から函館へ。すぐに飛行機でとんぼ返り、夕方、小樽駅前で選挙区候補とドッキング。わずか半日の間に候補の訴えは驚くほど力強く、説得力を増していました。「社会保障の財源のため」などというウソに騙されない決意がみなぎりました。
公示から5日目。菅総理大臣は、消費税増税発言について「議論を始めるということが公約だ」と、言い逃れを始めています。まもなく投票日までの折り返し点となります。徹底して国民に知らせ、ごまかしを許さない怒りの審判を、日本共産党に託してもらいましょう!
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2010年5月24日 口蹄疫被害の一日も早い解決を
口蹄疫の被害拡大は、今や全国問題として、深刻な影響を与え、一日も早い解決への対策が求められています。宮崎県内の発生も六つの自治体へと広がりました。九州地方はもちろん、沖縄や島根など他県でも防疫のために、畜産市場を閉鎖するところが増えています。市場に出せないことは、農家にとっては、予定していた収入が入らないことになり、経営不安に直結する問題です。
四月二十七日に日本共産党の現地調査を行って以来、現地宮崎県の党議員団からの政府への申し入れをはじめ、国会議員団としても繰り返しの申し入れと質問で対策強化に取り組んできました。ここは、封じ込めのために党派を超えて、一致団結して力を尽くさなければならない緊急事態です。
何よりも大切なことは、まず、感染の封じ込めです。そのためにも処分して埋める場所が必要です。国有地を含め国が責任を持って確保し、人的支援体制をもっと強化しなければなりません。そして経営再建への希望が持てる補償を示すことです。いずれ食肉となる運命でも、生まれたときから、手塩にかけ、かわいがって育てた牛や豚が、尋常ではない形で殺処分しなければならないというのは、ほんとうにいたたまれないことです。
そんな中で、絶望のふちに立たされた農家を励まそうと、自主的な募金活動が始められていることに救われる思いを抱きつつ・・・。
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2010年4月26日 基地撤去への熱いマグマ
今年の一月のことがよみがえってきました。参議院の沖縄・北方特別委員会の調査で沖縄に行き、普天間、嘉手納、名護市、うるま市と、各基地を視察。強烈だったのは、嘉手納の宮城篤実町長の言葉です。
「ある議員から普天間基地の嘉手納への統合案が示され、その際米軍の使用条件は、騒音防止協定をはじめとして、厳しい制限を設けそれを守らせるからと、受け入れを求めてきた。私は、これまで嘉手納基地は何十年と米軍の最大の拠点として使われ、騒音防止協定など約束をしても常に破られてきた。早朝でも真夜中でも耳をつんざく騒音を響かせて、米国から飛行機が飛来。そのために住民がどれだけ苦しめられてきたか。体調壊し、裁判に立ち上がった人もいる。そのたびに私は国に解決を求めて要請したが、今日に至るまで正されていない。これまでも守られなかったのに、新たな約束をして守られる保障がどこにあるのか」と。
さらに、町長は「私は日米安保条約賛成の立場だった。しかしこの住民の苦しみを前に、今町長として言わざるを得ない。日米安保改定から五十年、この是非をめぐって、ぜひ国会で議論してほしい」と。痛切に胸に響きました。
あれから四ヶ月が過ぎ、事態は劇的に発展しています。二十五日、沖縄では九万人もの県民大集会が成功し、基地撤去へのマグマがさらに熱く燃え上がりました。まもなく、五月三日、憲法記念日を迎えます。たたかいをさらにもりあげましょう!
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2010年3月29日 心温まる入党
一年の中で一番忙しい三月ですが、二十四日の参議院本会議で、二〇一〇年度予算が可決・成立し、予算の審議が終わり、久しぶりに北海道に戻ると、気温はマイナス四度。東京では桜が開花し始めたのに、北海道は厳しい寒さが続いています。
でも北区の演説会、東区の女性のつどいに参加して、心が温まりました。北区では、一生懸命演説会を準備してきたことがわかります。初めて日本共産党の演説会に参加したという人がたくさんいました。その中で、二十歳代の女性は、介護の仕事をしていたけれど、体をこわし、不安を感じながらも、この先健康を取り戻して前向きに生きてゆきたいと願っていました。友人の言葉に励まされて入党を決意してくれました。他の二人の初参加の人も入党!
東区では、長年地域で活動し、人生の大部分を日本共産党とともに歩んできたNさんが、お友達を誘ってきていました。「後期高齢者だって、負けてはいられないからね、今日はあなたに党に入ってもらいたいの、亡くなったご主人も喜んでくれると思うよ」と訴えました。「そうだね、夫も一筋だったからね」と自分自身に言い聞かせるようにうなづいて入党申し込み用紙に署名してくれました。八十歳代です。
よりよい人生を歩んでいこうとしています。いくつになっても、友達を大切に、チャレンジ精神をもって、がんばる姿に心の中はぽかぽかに温まりました。
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2010年3月1日 気持ちのよい共同
「なんと気持のよい共同だろう!」、高知県香美市で開かれた「高知の森林・林業の再生を考えるシンポジウム」に参加しての感想ですが、これは、私以外の多くの人が同じ感想を持ったようです。私も初めての「林業シンポ」に参加し、日本共産党の林業政策の基本を発言しました。
約二百五十名の参加者が、熱心に話に聞き入り、後半はたくさんの質問が出されました。なんといっても、県の森林組合連合会会長である戸田会長が、駆けつけて挨拶された内容は、森林・林業の再生への真剣な熱意が伝わってくるものでした。
再生可能な環境にやさしい循環型林業に取り組んでいる梼原町森林組合長、山林を団地化し効率的な森林管理と人材育成に取り組んでいる香美森林組合長、個人の林業家、県の林業振興・環境部長など、それぞれの発言も現場で取り組む当事者として、具体的な悩みや苦労がわかると同時に、みんなが真剣に現状を打開していこうとするおもいが、交流されました。
昨年、北海道でも全国森林組合全国大会での志位委員長の挨拶に、各地の森林組合を訪問して反響がありましたが、そこから一歩進める具体的な取り組みとして、今後に生かしていけるものだと思いました。
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2010年2月1日 再び鉄道で働ける日を
国鉄分割・民営化のさいに国労や全動労の組合員が不採用とされた事件からに二三年が経過し、一〇四七名全員を職場に戻せとたたかってきた当事者のうち五九人の人が他界してしまいました。もうこれ以上長引かせることはできないという思いで、一月二六日、穀田恵二国対委員長、仁比そうへい参議院議員とともに国土交通大臣に申し入れました。
「今年こそ解決を!と言いながら二三年、当時生まれた子供が、成人となり、自分もまもなく定年を迎えようとしている」「再び鉄道で働ける日を願って、ここまでがんばってきた」と訴えてきた闘争団の皆さんの顔を浮かべながら、応対した三日月政務官に訴えました。各政党が「人道的にも早期解決が求められている」と一致し、昨年二月の集会では当時民主党幹事長だった鳩山由紀夫首相も『二三年が二四年にならないうちに解決したい』と述べていたのだから、なんとしても鉄道建設・運輸施設整備支援機構と四社四団体が解決にむけた話し合いのテーブルにつくように力を尽くしてほしい」と。
政務官は、「私も鉄道員だったので、皆さんのお気持ちは良くわかります」とのべ、「私がこういう立場にいるときに一歩でも二歩でも前にすすめたい、早期解決のためにできる限りのことをしたい」と述べました。
与党三党は昨年十二月にも、機構に要請し、今年にはいってから三月までに解決を目指すことを確認しています。今年こそ解決のために、力を合わせましょう!
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2010年1月4日 新しい政治の探求と党躍進の年に
大晦日の夜は、父と母、兄夫婦と家族そろって一年間の出来事など年越しそばを食べて語り合い、元旦の朝は、自宅前の白石神社と、清田区の厚別神社で、初宣伝。
はたやま和也参議院北海道選挙区候補と、白石区の伊藤りち子札幌市議、清田区の吉岡弘子市議候補と地元後援会のみなさんといっしょに、街頭にたち、新年の抱負、決意を込めてあいさつをしました。風は冷たかったけれど、手を振って応援してくれる人も多く、大いに励まされました。
一月一日、三日付の、新聞各社の主張、社説に目を通し、国民の意識を反映した様々な論調を受け止めながら、新しい政治を探求する国民の自覚と力量の前進を後押しする日本共産党の役割について考えました。
昨年は地球温暖化対策の国際会議も開かれ、環境・食料問題は人類的課題としてクローズアップされています。日本の農林漁業の再生は待ったなし。ザラボヤ・大型クラゲなどの異常発生や森林の荒廃など、農業だけでなく、漁業者や森林組合の方々との懇談でも、深刻な実態がだされ、わが党への強い期待が寄せられました。
今年は人間を大切にする政治とともに、みんなが生きられる環境を築くために、ともに考え、解決へ力を尽したいと思います。
一月の党大会成功、参議院選挙で大門実紀史さんの三選、北海道ではたやま和也さんの勝利のために、わたしも全力でがんばる決意です。
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2010年1月1日 みんなでたたかい、つちかった力で参院選勝利を
「がんばれば動かせる!」こんな実感を持つことができた、昨年の総選挙の結果とその後のたたかいでした。「再び派遣村を作らない、人間を大切にする政治を」「安全安心な食料は日本の大地から」と、みんなでたたかい、培った力を大きく広げ、参議院選挙勝利!さらなる前進を作りだしましょう!
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2009年11月23日 新政権の感触
十一月二十日、党北海道委員会が新政権に対し初の政府交渉を行いました。
大型ダム建設の中止や新幹線延伸計画の抜本的見直しを求めた交渉では、国土交通大臣が凍結を打ち出し、検証を求めていることを反映して、かつての自公政権時代のような「ご理解をいただいて進めます」という言葉はみられませんでした。新幹線については、「白紙に戻して検討」という回答です。これは大きな変化ですが、何をどのように検証するのかが大事。正しく結論が出るように道民の立場から問題提起をしていきましょう。
新たに、ホタテ貝殻に付着するザラボヤ被害が対象となった「有害生物漁業被害防止総合対策事業」は、水産庁が十九億円(二十二年度)の増額を要求しています。私が現場に入って聞いてきた声が反映されたことで、漁民にとって前向きの答えでした。
選挙の結果、国民の審判によって、新しい政治状況を切り開いたことの意味が、ここに示されているわけですが、一方、「派遣村」を作らずにすむよう失業者や季節労働者対策の拡充など、急がれる雇用問題、医療・福祉、教育問題など、重要な課題で前進をきりひらけるかどうかは、国民の世論と運動にかかっています。
国会運営をめぐって、はやくも「小沢流」の強引なやり方が現れ、雲行きが怪しくなってきました。問題の是正を含め、日本共産党の役割が重要になってきます。
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2009年10月26日 子どもへの愛情を力に
十月二十四日、「生存権裁判を支援する北海道の会」第三回総会は、前日の「母子加算復活」の閣議決定を受け、「復活実現」を喜び合う会となりました。
原告や審査請求人としてたたかってきたおかあさんが参加し、その喜びを、声を詰まらせながら語りました。「この数日間、毎日どうなるのか、心配で・・。でも本当に良かった。これまで子供に我慢させてきたので、お寿司を食べさせてあげたい。応援してくださった皆さんありがとう」「うれしい。加算が切られて、つらかったけど、今年のクリスマスは子どもと一緒に過ごせます。お正月には、おせち料理も作ってあげたい」
子どもを思うおかあさんたちの言葉に胸がいっぱいになりました。言葉は続きます。「先のことを考えると不安がなくなったわけではありません、これからもみなさんと一緒に、少しでも安心して生きられる社会めざしてがんばります」と。
勇気をふるって裁判に立ち上がり、顔も名前も明らかにし、テレビや新聞で訴えてきたことが野党共同の取り組みへと発展させ、自公政治を退場させる力の一つになってきたことは間違いありません。
また、それをささえた弁護団、支援する会の連帯の力もどんなに大きな支えになったことでしょう。
同時に、ここは通過点です。来年度四月以降も継続されること、これを老齢加算の復活へとつないでいくたたかいは、これからも続きます。
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2009年9月28日 穏やかな秋に思わぬ影響
実りの秋、今年は、道内に一つも台風が上陸せず、穏やかな秋を迎えているのでは、と思いきや、一方では、思わぬ所への影響が懸念されています。
噴火湾沿岸の養殖ホタテ貝にフジツボやザラボヤが大量に付着し、漁業者の経営に大きな打撃を与えている問題で、九月二十四日、真下紀子道議とともに、いぶり噴火湾漁協豊浦支所を訪ねました。
今年三月、道南からの報告で、ホヤの一種、ザラボヤが異常発生し、養殖ホタテ貝やロープ、浮玉に付着し、その重みで、水あげの時にホタテが海に落ちてしまう、浮きも沈んでしまう被害が発生し、四月の農水委員会で政府の対策を求めました。
その後被害は、湾内に急速に広がって、より深刻になっているのです。豊浦の場合は、水面近くには、フジツボが付着、水面から下にいくに従ってザラボヤが多く付着していました。
なぜ大量に発生したのかは、いまだ解明はされていません。水産技術普及指導所の担当官の話しでは、今年は、台風もなく、大きく海がしけることもなっかたため、噴火湾内に大量にプランクトンが発生し、それをえさとするフジツボやザラボヤが増えたのではないかと説明しています。
漁業経営への打撃を軽減するために、新政府の農林水産省に、必要な対策を求めていきたいと思います。
2009年8月31日 政治は新たな段階へ
第四十五回総選挙の結果は、自民・公明が大幅に議席を減らして「敗退」。道内でも、自民党大臣クラスが次々落選し、復活当選と合わせても三議席にまで減退。こんなことは、いまだかってなかったことです。日本の政治が新たな段階へと進む歴史的な結果であることは、間違いありません。
しかし、北海道で比例定数八の中に日本共産党の議席復活を果たせなかったことは、やはり残念です。わが党に期待し、ご支援、ご協力をいただいた皆さんに心から、感謝いたしますとともに、広く耳を傾け、総括を行って、今後の活動に生かします。
三十一日早朝、宮内聡さん、畠山和也さんとともに、札幌駅前通り、出勤途中の人々に、選挙結果の報告と今後の決意を語りながら、訴えました。
全国的には現有九議席を維持することができました。これは、今後の新しい国会でわが党がますます、大きな役割を担っていくうえで、よりどころとなるものです。国民にとっては、自らの投票で動かした政治を今後も見守り、要求の声をあげていただきたいと思います
2009年6月29日 与党の審議拒否
「お母さん、僕はいいからね」と、母親のことを思って、進学をあきらめようとする子ども。その気持ちが痛いほどわかるだけに、何とかしてやりたい。せめて、子どもにはやりたいことをやって、のびのび生きてほしいと願う。そんな母親の思いが、「母子加算復活」法案に込められています。
与党にも呼びかけて、衆議院で提出したけれど、まったく動かず。六月十六日、野党共同で参議院に提出。二十五日の厚生労働委員会で議題になったものの、与党は、「十分な説明を受けていない」と審議入りに反対。「それなら、十分説明をする」と再提案すると、かたくなに「審議入りには応じられない」と理由にならない理由を言って退席してしまったのです。
私は、食事を一日一食にして、自分のものは買わず、子どものために必至にがんばっている菊池さん、川口さんなど、生存権裁判の原告としてたたかっている母親のみなさんの声を紹介しながら、その実情と子どものことをもっと真剣に見てほしいと訴えました。
舛添大臣は「一般母子家庭とのバランス」をもちだして、低いほうに合わせる答弁をくりかえすだけ。その冷たさに、怒りがこみ上げてきました。
野党案の答弁者となった小池晃参院議員は、「生活保護費以下で暮らしている世帯が受給できていないことこそ行政の怠慢」と反論しました。十五兆円もの補正予算を組むのなら、わずか百八十五億円の母子加算復活ができないはずがありません!
2009年6月1日 憲法を生き方で示した川瀬さん
五月十六日、別海町、陸上自衛隊矢臼別演習場の中にある川瀬牧場・D型ハウスで行われた「川瀬氾二さんを送る会」に参加することができました。
川瀬さんと初めてお会いしたのは、私が三十歳代の頃だったと思います。直接ご本人に会ってみると、とても小柄で柔和、気さくな人でした。二十五歳で入植し、それから十年目に、陸上自衛隊の演習場設置が決められ、一方的な追い出し、防衛庁の土地買収に離農があいつぎ、最後に残ったのは、杉野さんと川瀬さんの二軒だけ。
川瀬さんが「ここに残る」と決意したときのことを、当時を知る上出五郎さんが語ってくれました。「どうして残る決意をしたのか」と聞くと、「杉野さん一人残すわけにいかない」と。その先のことは、当時の川瀬さんにもわかっていなかっただろうと。「はじめから、たたかう勇士だったわけではなく、恵庭事件や、労働者のたたかい、全国の基地闘争などに触れ、そのつど、川瀬さんは何かを吸収し、大きくなっていった」という話に胸が熱くなりました。
川瀬さんが巨大な権力を相手に、一歩も引かず、たたかい続けられたのは、なぜだろう?。憲法を文字面ではなく、自らのたたかいのよりどころとして、深く身につけていたから?人々との連帯のきずなを大切にしてきたから?川瀬さんがその生き方で示してくれた「宝」を大事にしていきたいと思いました。
2009年5月4日 「新型インフルエンザ」
大型連休を前に、心配していた、「新型インフルエンザ」が発生しました。WHO(世界保健機構)が、米国とメキシコ、カナダで確認された豚インフルエンザ(H1N1型)の発生を受け、緊急委員会を開催し、「豚インフルエンザ」から「新型インフルエンザ」へ切り替え、大流行について警戒水準(フェーズ)を「5」に引き上げることを決定し発表。フェーズ5とは、新型インフルエンザが、大きな一つ及び複数の集団で発生し、世界的大流行を意味するフェーズ6の一歩手前です。
フェーズの引き上げは「人から人への感染を示す疫学上のデータと地域社会レベルでの発生を引き起こすウィルスの毒性」について検討した結果としていますが、さらに高度な水準へ引き上げられることがないように対策が急がれます。
国会では、政府の対策本部が設置され対応を検討。わが党としても市田書記局長を本部長に対策本部を設置し、情報収集と対策を行っていくことになりました。初動での対策が重要であり、まず、水際で感染を防ぐことに全力を挙げる必要があります。
当面、発生国との間の人、モノの運航は止めないという政府の方針ですが、その検疫体制の確保や、国内での診療体制の強化やワクチンの確保など、事態を注視しながら、対策を取らなければなりません。
2009年4月6日 さわやかな風
よどんだ空気の流れる国会に春一番のような新鮮な風が吹き込んできました。
北海道から、高校生が国会見学にやってきたのです。はじめての見学の前に、議員に聞いてみたい事があると、六人の高校生が私の部屋に来ました。「紙議員にとって、学ぶとはどういうことですか」「学校の校則についてどう思いますか」「なぜ国会議員になろうと思ったのですか」「愛とはどういうものですか」と、難問を次々と浴びせられ、どぎまぎしながら、こたえました。
十代のころの私は、「自分の頭で物事を判断できる人間になりたい」と思っていたこと、それには、あまりにも物事を知らなすぎるから、もっといろんなこと、世の中のことも、政治のことも、知りたいと思っていたことなどを話しました。
高校生が帰ってから、思い出したことがありました。バレーボール一筋だった高校時代、今も心に残っている言葉があります。
「一心に球を追ううちに勝つことへの執念がわき、勝とうと思えば、人和を結合した努力が必要となり、さらに勝つためには人和を超越した力が必須の条件となる。そこから生み出された成果は尊く、人間の至宝である」。
卒業のとき、バレーボールに先生が書いてくれた寄せ書きの言葉です。大事な事を学んでいたのだと思います。
吸収力旺盛な高校生たちのきらきらした瞳にさわやかな風を感じました。
2009年3月9日 国民は納得できません
三日、「民主党小沢一郎代表の公設秘書が西松建設からの違法献金容疑で逮捕」のニュースがながれました。四日、小沢代表は記者会見で「なんら、やましいことはない、政治団体からの寄付との認識で適法に処理している」と述べ、「西松建設からの献金だとは認識していない」と発言。「西松建設からの企業献金との認識に立っていれば政党支部に計上していた」とも言いました。
要は右のポケットに入れるか左のポケットにいれるかの違いであり、公開さえすれば企業・団体献金をどこからいくらもらってもかまわないという立場です。改正した政治資金規正法がざる法だということも表明したことになります。この立場を変えない限り「政治と金」の問題の根本的解決はありません。
六日、予算委員会の小池晃さんの質問を傍聴しました。「国民はまったく納得していない。小沢党首と民主党は引き続き説明責任を果たすべきだ」と指摘すると、民主党の席からも「そのとおり」の声が聞こえました。同時に「自民党も同じ構図だ」と、西松建設から巨額のお金が流れているダミーの政治団体と政治献金を受けている主な政治家・団体の名前を示し、二階経済産業大臣に迫りました。終始逃げの答弁です。
このままでは済まされません。いよいよ、企業・団体献金を禁止し、政党助成金返上、廃止させるときです。
2009年2月9日 現在に生きる小林多喜二
まもなく二月二十日、小林多喜二の命日がやってきます。
「あーまたこの二月が来た ほんとうにこの二月とゆ月か いやな月こいをいぱいに なきたいどこいいてもなかれないなー てもラチオて しこすたしかる あーなみたがてる めがねかくもる」小林多喜二の母、セキさんが獄中の息子に手紙を送るため、文字を覚え、多喜二の死後に書いた詩です。
二月七日に札幌西区・手稲区の女性の集いがあり、講演の準備にあたって、ノーマ・フィールドさんの「小林多喜二―二十一世紀にどう読むか」(岩波新書)を読みました。
アメリカ人の父と日本人の母を持つ彼女は、子供のころ、祖父母からかつて住んでいた小樽の話を聞かされ、自らも多喜二の育った小樽の街で、二年ほど住み、多くの資料、証言に接して多喜二の作品と人間像を掘り下げています。
そして、その生き方に強く惹かれ、深い思いをこめて書いていることが伝わってきます。多喜二の人間像や文学の意義など、私自身もたくさんの新たな発見をすることができました。人間をぼろきれのように扱う権力に対し、いかにして立ち上がり、変えようとするのか。その事を考え、文学と社会変革とを果敢に追求したことの意味の大きさ。
小林多喜二を語ることは、過去を語ることではなく、現在を語ることなのだとあらためて思いました。
2009年1月12日 新たな連帯の広がりを実感
二〇〇九年が始まりました。道労連の旗開き、札幌社会保障推進協議会結成十周年記念レセプション、西区・手稲区新春交流会、北商連学習交流集会などの催しに参加して、それぞれの運動の果している役割や新たな連帯の広がりを実感しました。
社保協の記念講演会には、高崎裕子弁護士が「憲法と社会保障」のテーマでお話しをされました。この十年、社会保障を崩すものとたたかい、人間らしく生きる権利を守るために、医療、福祉、年金、介護、障害者問題などあらゆる分野でけん引車となってきた社保協の役割をかみしめました。
後期高齢者医療制度では、国民の運動を大きく盛り上げ、昨年四野党共同で廃止法案を可決させるにいたったことなど、日本共産党の論戦と結んで大きな変化を切り開いてきたことは今後のたたかいにつないでいく糧となっています。
北商連学習交流集会では、金融危機、不況の厳しい経済情勢の中で中小企業金融の破壊、中小企業対策の制度後退を押し戻すたたかいや、新たな情勢にふさわしい運動の発展方向を示す真剣な議論が行われました。業者間のきづなを強め、この苦境を乗り越え、頼りにされる民商への新たな前進へ、熱い思いが伝わってきました。
こうしたたたかいと、心一つに必ずや政治を変える一年にしようと決意を新たにしました。
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